ミサイル巡洋艦「モスクワ」その歴史と、ざまぁな沈没

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ミサイル巡洋艦「モスクワ」その歴史と、ざまぁな沈没

目次

1. 序章

「モスクワ」(ロシア語: Москва)は、ロシア海軍黒海艦隊に配備されていたミサイル巡洋艦です。この艦は旧ソ連海軍のスラヴァ級ミサイル巡洋艦の一番艦「スラヴァ」(ロシア語: Слава)として建造され、その後、ロシア海軍に引き継がれました。1995年に「モスクワ」に改名され、2022年にはウクライナ侵攻に投入されましたが、その年の4月14日に沈没しました。

このブログでは、モスクワの建造から沈没に至るまでの歴史を詳述し、特にその軍事的役割と沈没の背景、そしてその影響について考察します。「モスクワ」の運命を通じて、冷戦時代から現代に至るロシア海軍の変遷や、軍艦の戦略的価値について理解を深めることを目指します。

2. 建造と就役

モスクワの建造は、1976年11月6日にウクライナのムィコラーイウ造船所で開始されました。1979年7月27日に進水し、1982年12月30日に竣工しました。その後、1983年1月30日に正式に就役し、ソビエト連邦海軍の一員となりました。当時の艦名は「スラヴァ」(栄光を意味する)であり、その名の通り、同艦はソ連海軍の栄光を象徴する存在となりました。

初期の任務では、主に地中海や大西洋での作戦に従事し、ソ連の海上戦力の一翼を担いました。特に、敵空母機動部隊への対抗能力を持つことから、冷戦時代の西側諸国に対する強力な抑止力となっていました。

3. 冷戦時代の活動

冷戦期において「スラヴァ」は、ソビエト連邦の海軍戦略の中核として重要な役割を果たしました。1986年11月にはギリシャのピレウス港を訪問し、1989年のマルタ会談ではソ連代表団の拠点として使用されました。マルタ会談は、ソ連指導者ミハイル・ゴルバチョフとアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとの間で行われた重要な首脳会談であり、冷戦終結に向けた歴史的な出来事でした。

「スラヴァ」はその後、ソ連崩壊に伴う混乱の中でもその価値を保ち続け、冷戦終結後のロシア海軍に引き継がれることとなります。

4. ソビエト連邦崩壊後の運用

ソビエト連邦が崩壊した後、「スラヴァ」は1995年5月16日に「モスクワ」と改名され、ロシア海軍の一員として再出発しました。モスクワは黒海艦隊の旗艦として、その地位を確立しました。特に2000年以降、モスクワは再び活発な活動を展開し、ロシアの海軍力の象徴として多くの国際任務や演習に参加しました。

再就役後のモスクワは、黒海艦隊の主力艦としての役割を果たし続け、地中海やインド洋での任務に従事しました。特に2001年から2002年にかけては、フランス、チュニジア、イタリア、シリアなどを訪問し、ロシアの外交活動にも貢献しました。

5. 2000年代の活動

2000年代に入ると、モスクワはさらなる国際的な役割を果たすようになりました。2003年にはインド洋での合同演習に参加し、ロシア海軍の国際的な存在感を示しました。また、2008年と2009年には地中海でのロシア海軍北方艦隊との合同演習に参加し、同盟国との連携を強化しました。

2008年のロシアのジョージア侵攻では、モスクワは黒海での制海権を確保するために重要な役割を果たしました。この期間中、ジョージア海軍との短い交戦も経験しましたが、これによりロシアの海上戦力の重要性が再確認されました。

6. ロシア・ウクライナ紛争への投入

2014年のクリミア危機は、モスクワにとって再び注目を集める出来事となりました。ロシアがクリミアを併合する過程で、モスクワは黒海における戦略的な役割を果たしました。特に、ウクライナ海軍の封鎖に関与し、ロシアの海軍力を誇示する重要な任務を担いました。この封鎖により、ウクライナ海軍の行動は大幅に制限され、ロシアのクリミア併合は迅速かつ効果的に行われました。

その後もモスクワは、ロシアの地中海地域における軍事プレゼンスを確立するための重要な役割を果たしました。2015年にはシリア内戦への介入においても活動し、ロシアの地中海地域での軍事活動を支援しました。具体的には、ラタキア近くのロシア軍航空部隊の防空任務を担当し、シリアでのロシアの軍事介入を支援しました。

2022年に入り、ロシアがウクライナへの全面的な侵攻を開始した際にも、モスクワはその中心的な役割を果たしました。同年2月、セヴァストポリを出港したモスクワは、黒海西部のズミイヌイ島攻撃に参加しました。この攻撃は、ウクライナの領土内で行われた重要な軍事作戦の一つであり、モスクワはウクライナ軍の守備隊に対して降伏を要求しました。しかし、ウクライナ軍はこれを拒否し、「ロシアの軍艦よ、くたばれ」と応答しました。このエピソードは、ウクライナの抵抗の象徴となり、広く報道されました。

7. 「モスクワ」の沈没

2022年4月13日、モスクワはウクライナ軍のネプチューン対艦ミサイルに被弾し、海上で火災が発生しました。ウクライナ軍やアメリカ国防総省は、ウクライナ軍による攻撃が命中したと主張しています。一方で、ロシア国防省は、艦内で火災が発生して弾薬が爆発し、曳航中に沈没したと説明しました。

この事件は、ロシア海軍にとって非常に大きな打撃となりました。日露戦争以来初めて他国の正規軍に沈没させられたロシア艦隊の艦艇となり、ロシアの軍事的威信に大きな影響を与えました。モスクワの沈没は、軍事史においても注目される出来事となり、特に現代戦における対艦ミサイルの効果を証明するものとなりました。

ロシア側の発表によると、沈没の原因は火災と弾薬の爆発によるものであり、ミサイル攻撃の影響については言及されていません。しかし、ウクライナ側や西側諸国の情報は、モスクワがネプチューン対艦ミサイルによって攻撃されたことを支持しています。この攻撃により、モスクワの三段重ねの防空システムが効果的に機能しなかったことが明らかになり、ロシアの防衛体制の脆弱性が露呈しました。

8. 沈没の影響と教訓

モスクワの沈没は、ロシア海軍の戦略と防衛体制に多大な影響を及ぼしました。ウクライナ軍が対艦ミサイルを効果的に運用できることが証明され、ロシア海軍は今後の作戦において新たな戦略を求められることとなりました。特に、対艦ミサイルに対する防御策の強化や、艦隊の配置見直しが急務となっています。

また、モスクワの沈没は国際的な軍事バランスにも影響を与えました。ロシア海軍の脆弱性が露呈したことで、他の国々も対艦ミサイルの開発と配備を加速させる可能性があります。この事件は、現代戦における新たな脅威とその対策を考慮する上で重要な教訓を提供しています。

沈没後、ロシア海軍はオデーサ沖での作戦活動を見直し、他の艦艇をより安全な距離に配置することを余儀なくされました。この再配置は、ロシアの海軍戦略における大きな転換点となり、今後の作戦計画においても重要な影響を及ぼすことが予想されます。

9. 結論

「モスクワ」の歴史は、冷戦時代から現代に至るロシア海軍の変遷を象徴するものです。栄光の時代を経て、数々の国際任務や作戦に参加し、ロシアの軍事力を支えてきたモスクワは、その最期においても歴史的な役割を果たしました。

その沈没は、軍事的・政治的に多大な影響を及ぼし、ロシア海軍にとって重要な教訓を残しました。今後、同様の事態を避けるためには、防衛体制の見直しや新たな戦略の構築が求められます。「モスクワ」の歴史とその運命は、現代の軍事史における重要な一章として記憶され続けることでしょう。


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